戒め

今日は、自分への戒めとしてこの文章を書こう。
この春より、多くの友人が社会に出た。また今就職活動中の大学院組も内定をもらった人など、社会に出る切符を獲得した人達が増えてきた。去年から出た人達も含めると、自分の友人のその多くが社会に一歩を踏み出したことになる。

そういう現状を踏まえて、自分の置かれている状況を考えると、何とも中途半端な気がする。まず第一に、友人と経済的な格差がどうしても生まれてしまう。もし飲みに出かけた時、自分一人お金に余裕がないため、次のお酒・2件目を我慢したり、また少し高めの居酒屋に行こうと誘われても断らなくてはいけない。何とも情けない話だ。経済力は、自分の生活スタイルと、ましては自分の精神状態までも左右してしまう。多分上のような状況は今後増えることだろう。

まあしかし、他の人が社会に出て自立する道を選択したのだけど、自分に至っては「英語」というスキルを獲得するという目標を掲げた。いろんなことを捨ててまで、この道を自分で選択した訳だ。人と違う道を選ぶという事は、それだけリスクが増える訳で、人よりも努力をしないと沈んでしまう。

少しダレ気味にあった最近の生活に、”これではいかん”と、ハッと気が付いたので今文章を書いている。今の自分の英語の状況を報告すると、ネイティブと会話が成立するには3つの条件が必要である。

1、自分が相手の英語に慣れている
2、相手が、自分が喋れない事を認識している
3、認識しているので、少しはっきりと喋ってくれる。

この条件が揃わないと会話が成立しない。つまり、初対面の相手とは会話がなかなか上手くいかないし、全然聞き取れない事は多々ある。

そんなこんなで今回のカナダ留学では、英語の上達はこの辺かな何て、自分で少し見切りを付け始め、それが理由で生活がダレ始めたのだと思う。もう少し、スピーキング、リスニング、リーディング、ライティングの訓練量を増やさないと。

他の人とは違う道を選んだ訳だし、英語をきっちりマスターしなければ、友人に会わす顔がない。

俺は集団に属したい

自分と同じワーホリ組みや語学学校時代の友が殆ど帰国したため、最近一人でいる時間が大分増えてしまった。パソコンに向かう作業が増えそうだ。

人との出会いって、何かの集団に属していないと、全くなくなってしまうものなんだなと実感している今日この頃。日本にいた時に誰かがつぶやいていた「集団に属すのは嫌いなんだよね」とか言う言葉が頭に過ぎる。そんなこと言っても、俺はどこの集団にも属さないで生きるなんて、正直できないと思う。あまりに孤独だし、自分の溜まったものを発散する場がやっぱり欲しい。

集団の中には、掟や面倒くさい暗黙の了解などいろいろあるが、それでもやはり新しい出会いがそこにはある。それがやっぱり面白いと俺なんかは思うけど。

小、中、高、大まで自動的に多くの人に出会えるシステムの中に自分はいた。それがない今はもっと自分からアプローチしていかないと、面白い人達に出会えないんだろうな。

そう考えると、合コンなんかに精を出す女・男性陣を、確かにと少しうなずいてしまう。


どういう集団に入るか、自分的に積極的に考えたいな。

自己満足

三月の最後に一つブログを書こう。今日は最近の自己満足についてを書こうかな。
それは何かというと、英語の文章を早くタイピングすること。PC上で、軽くブラインドタッチ気味に英語の文章を打てると「おっ、俺結構やるじゃん!」て思うこと。これが最近の私の喜びであります。小学校の頃バスケ少年だった私は、レッグスルー(股にボールを通す技)やバックビハインド(ボールを背中の後ろで、右から左に移す技)ができるようになると、「おっ、俺結構やるじゃん!」と自分がNBA選手になったような感じで嬉しかった記憶があるんだけど、その感覚に近い感じかな。

PS.話は変わりますが近いうちに、集団、国、性別、世代などによる自分のコミュニケーション取り方の違いについて、自分なりに考えて整理したブログ記事を書きたいなと思ってます。と言うのも集団、国、性別、世代などの違いによって自分なりに、コミュニケーションの取り方を意識的にか、無意識にか変えている事に気がついたからです。もともと会う人によって変えるのは普通なことですが、英語を話す時の自分は、ノリや話の組み立て、相手にものを伝える方法にかなりの違いがあると思ったので、その辺のことを来月辺り整理したいと思います。

自分のルーツ

前回の話では、自分の子孫達のことを少し考えてみたんだけど、じゃあ実際自分のルーツはどうなのかという一つの疑問が浮かんだので、そのことについて。

ムネダ家の本家は山口県下関市の近くにある。よって父方の親戚の殆どは山口、北九州、福岡、少し離れて広島などに住んでおり、ムネダ家のとしてのルーツは北九州地方にある。自分の父親は次男だったため就職活動の時、自分一人くらいは違う世界に行って暮らしてもいいだろうと考え、地元の山口、大学時代の福岡を離れ東京で就職した。そこで東京で育った母と出会った。その後俺は東京の病院で生まれ、3歳まで横浜で暮らす。父の転勤により沼津にやって来て、5歳の時に今の実家のある三島に移ってきた。俺はいわばもともとの静岡東部の人間では無い訳だ。でも、幼稚園、小学校、中学校、高校までの14年間近くを三島の地で過ごし、俺の故郷・地元は三島に他ならない。

三島で育った俺は父方の親戚が話す方便を知らない。父の方便を実家での会話で聞いたことが無いからだ。さらには距離的な問題から、祖父母の家にも数える程しか行ったことがない。ましては少し遠くの親戚となると殆ど会ったことがない。そんな訳で、自分の中に北九州地方の文化は全く継承されておらず、ましてや帰属意識すら俺には無い。唯一お餅は丸い形をしていないと餅の気がしないくらいだ。父が地元を離れ、東京の地で暮らして行こうと決意した時から、自分も含めた子孫達は北九州地方の文化を捨てたことを意味する。

父は日本人の母と結婚したため、俺には日本語は残った。そして、東京、横浜、伊豆に親戚を持つ母方の新しい文化も同時に俺に加わった。そんな俺から言わせてもらえば、別に北九州地方に行って住もうなんて一度も思ったことないし、故郷はと聞かれれば三島である。父方の親戚の集団意識の中に入れなくても、何の問題も無い。むしろ自分は良く顔を合わし、飲んだりする母方の親戚の中に強い集団意識を感じている。

もし俺がカナダ人と結婚し、カナダの地に住む事を決めたら、故郷をカナダに持ち、日本語を話さず、日本に帰属意識すら持たない子供が簡単にできてしまう。その後俺の子孫達は二度と日本に戻ることはないだろう。俺にとってはそれは想像するだけでかなり恐ろしい事なのだが、当の息子達は別に関係ないやって感じなのだろう、実際俺がそうであるかの様に…。

PS、この記事についてどう思いますか?正直今の自分には分かりません。ほんと最近出てきた疑問なので、自分なりの考えがまとまるまで時間がかかりそうです。別にカナダ人じゃなくても、国際結婚して、日本以外の地で住んだら、そんなとんでもない事が起こってしまうのです。

日本語の喋れない俺の孫は問題か?

カナダは移民大国である。そして英語圏であるこの国で生まれ育った2世、3世は英語を第一言語とし、カナディアンカルチャーの中で育つ。2世は第二言語として、親の母国語を話す人もいるが、3世になると英語しか話せない人がほとんどだ。

仮にもし自分が、英語を第一言語とする女性と出会い恋に落ち、英語圏で暮らしたとする。そこで生まれる子供は英語しか話せないだろう。頑張って日本語教育を施したとしても、その子が結婚相手の女性に、日本人の女性を選ぶ確立は少ない。すると孫は日系3世であるが英語しか話せないだろう。もしかして俺の息子がブラック系の女性と結婚したら、ムネダの系統は日本人の血が入っているが、良く分からない人種のファミリーが形成されてしまう。そういうことが現実に起こらないとは限らない。俺の判断一つで、今まで想像もしなかった事が起こってしまうのである。

カナダに来て二人の日本語の話せない日本人国籍を持つ人に出会った。一人は前の職場で出会った日系3世のブラジルに住む同じ年の男と、もう1人は両親の両方を日本人に持つ、カナダで生まれ育った40才代の男性である。一人はポルトガル語を、一人は英語を話した。彼等との出会いは一つの衝撃だった。

なぜなら自分が、同じ日本人であると認識する時、何と言っても日本語を喋ることが大前提である。日本語が共に通じ合えるという認識が、自分達の中に仲間意識や民族意識を確認させる。日本語の話せない彼等を同じ日本人であると、どう確認すればいいのだろうか?正直難しい気がする。まだまだ閉鎖的な日本社会で日本語が喋れない事は、日本人が持つ仲間意識の中に入ることはできないのでは。それは日本社会の中では生きていくことが困難だということを意味する。

つまり俺が一度日本を離れ他国で生活の根を張ると、俺の子孫達は日本に帰ることが出来ないのではないのか?俺の判断一つで、故郷をカナダの地に持つ様な、日本に帰属意識を持たない子孫達がいとも簡単に出来てしまう。それを想像することは、今の自分には恐ろしい。それは完全に日本文化、ましては日本という国を捨てるということを俺が決定した様なものだからだ。

良いのか、悪いのか、いやそういう次元ではないのか…。

英語においても然り

前回の記事で書いたことは、英語においても当てはまると思う。英語の文脈の中で、知識・体験的な情報を取り入れ、それを英語で考え文章化するということ。つまり、英語でブログを書く習慣ってのも重要な訓練になりそうだ。

 今自分は英語の勉強自体を目的として生活している。でも英語を勉強することが最終的な目標ではなく、それを手段として使えるようにすることが自分の目的である。そのためにはある段階から、徐々にネイティブの人達が日常的に使っている情報媒体を、自分でも使いこなせるようにする訓練が必要になってくる。ニュース、本や雑誌から情報を得たり、英語での講義、ネイティブとの会話などにおいてしっかりと英語を使えるようにすることである。

それが少しずつできるようになれば、圧倒的に英語の情報量が増え、生活もさらに楽しくなる。そのためにも、文字媒体を読めるようになるreading力と話が聞けるようにlistening力をしっかり身につけることが先決だ。まあ、今すぐには無理なので、この辺を2年目の目標としよう。

ブログについて

ブログを始めて気が付いたことがある。それは凄く単純なことで、毎日ちょっとした思ったことを書くことは中々難しいと言う事だ。何か思ったことを書くということは、新しい知識的・体験的な情報を自分の中に取り入れ、その新しく自分の中に入ってきたもの対し、自分のフィルターを通し定義づけしたり、整理したりする行為だと思う。定義つけや整理というのは、自分はこう考える、こういうことは大切だとか、それは良くない事だと思うという様な、自分の反応を示すということ。

実はこの行為を毎日繰り返すのは相当大変なことである。毎日決められた時間の中で、新しいものに対し自分を開き、そして入って来たものをそのままスルーさせるのでなく、自分のものとするために考える必要がある。毎日そんな時間ないよ〜と言いたくなるが、そういう行為を習慣化させないと、ブログを毎日書くのは難しいと思う。そのためには、自分の情報処理のスピードをもっと高める必要がある。そしてそのスピード感覚になれることだ。

ある人のブログを読んでいたら、その人物は一ヶ月で60冊の本を読むとのこと。単純計算で一日2冊の本を読む事になる。一日2冊分の新しい情報が入ってくるのに対し、自分は一ヶ月3,4冊といったところだ。それでは、毎日物を書く時の情報量にかなり差がでてしまう。

そういう意味でも、ブログを多く書くことは、自然と情報処理のスピードを上げるのに役立つと思った。なぜならその分の情報量を毎日仕入れなければいけないからだ。そしてもう一つ付け加えると、ブログと日記の違いには、他人がそれを見る事が上げられる。他人が見るから同じネタを書くわけにはいかない。一方日記は自分の思ったことだけを、徒然なるままに書き留めればよい。あまり頭を使わなくてすむが、ブログにおいてはそうはいかない。

ブログを書くということはある意味訓練である。