日本語の喋れない俺の孫は問題か?

カナダは移民大国である。そして英語圏であるこの国で生まれ育った2世、3世は英語を第一言語とし、カナディアンカルチャーの中で育つ。2世は第二言語として、親の母国語を話す人もいるが、3世になると英語しか話せない人がほとんどだ。

仮にもし自分が、英語を第一言語とする女性と出会い恋に落ち、英語圏で暮らしたとする。そこで生まれる子供は英語しか話せないだろう。頑張って日本語教育を施したとしても、その子が結婚相手の女性に、日本人の女性を選ぶ確立は少ない。すると孫は日系3世であるが英語しか話せないだろう。もしかして俺の息子がブラック系の女性と結婚したら、ムネダの系統は日本人の血が入っているが、良く分からない人種のファミリーが形成されてしまう。そういうことが現実に起こらないとは限らない。俺の判断一つで、今まで想像もしなかった事が起こってしまうのである。

カナダに来て二人の日本語の話せない日本人国籍を持つ人に出会った。一人は前の職場で出会った日系3世のブラジルに住む同じ年の男と、もう1人は両親の両方を日本人に持つ、カナダで生まれ育った40才代の男性である。一人はポルトガル語を、一人は英語を話した。彼等との出会いは一つの衝撃だった。

なぜなら自分が、同じ日本人であると認識する時、何と言っても日本語を喋ることが大前提である。日本語が共に通じ合えるという認識が、自分達の中に仲間意識や民族意識を確認させる。日本語の話せない彼等を同じ日本人であると、どう確認すればいいのだろうか?正直難しい気がする。まだまだ閉鎖的な日本社会で日本語が喋れない事は、日本人が持つ仲間意識の中に入ることはできないのでは。それは日本社会の中では生きていくことが困難だということを意味する。

つまり俺が一度日本を離れ他国で生活の根を張ると、俺の子孫達は日本に帰ることが出来ないのではないのか?俺の判断一つで、故郷をカナダの地に持つ様な、日本に帰属意識を持たない子孫達がいとも簡単に出来てしまう。それを想像することは、今の自分には恐ろしい。それは完全に日本文化、ましては日本という国を捨てるということを俺が決定した様なものだからだ。

良いのか、悪いのか、いやそういう次元ではないのか…。