自分のルーツ

前回の話では、自分の子孫達のことを少し考えてみたんだけど、じゃあ実際自分のルーツはどうなのかという一つの疑問が浮かんだので、そのことについて。

ムネダ家の本家は山口県下関市の近くにある。よって父方の親戚の殆どは山口、北九州、福岡、少し離れて広島などに住んでおり、ムネダ家のとしてのルーツは北九州地方にある。自分の父親は次男だったため就職活動の時、自分一人くらいは違う世界に行って暮らしてもいいだろうと考え、地元の山口、大学時代の福岡を離れ東京で就職した。そこで東京で育った母と出会った。その後俺は東京の病院で生まれ、3歳まで横浜で暮らす。父の転勤により沼津にやって来て、5歳の時に今の実家のある三島に移ってきた。俺はいわばもともとの静岡東部の人間では無い訳だ。でも、幼稚園、小学校、中学校、高校までの14年間近くを三島の地で過ごし、俺の故郷・地元は三島に他ならない。

三島で育った俺は父方の親戚が話す方便を知らない。父の方便を実家での会話で聞いたことが無いからだ。さらには距離的な問題から、祖父母の家にも数える程しか行ったことがない。ましては少し遠くの親戚となると殆ど会ったことがない。そんな訳で、自分の中に北九州地方の文化は全く継承されておらず、ましてや帰属意識すら俺には無い。唯一お餅は丸い形をしていないと餅の気がしないくらいだ。父が地元を離れ、東京の地で暮らして行こうと決意した時から、自分も含めた子孫達は北九州地方の文化を捨てたことを意味する。

父は日本人の母と結婚したため、俺には日本語は残った。そして、東京、横浜、伊豆に親戚を持つ母方の新しい文化も同時に俺に加わった。そんな俺から言わせてもらえば、別に北九州地方に行って住もうなんて一度も思ったことないし、故郷はと聞かれれば三島である。父方の親戚の集団意識の中に入れなくても、何の問題も無い。むしろ自分は良く顔を合わし、飲んだりする母方の親戚の中に強い集団意識を感じている。

もし俺がカナダ人と結婚し、カナダの地に住む事を決めたら、故郷をカナダに持ち、日本語を話さず、日本に帰属意識すら持たない子供が簡単にできてしまう。その後俺の子孫達は二度と日本に戻ることはないだろう。俺にとってはそれは想像するだけでかなり恐ろしい事なのだが、当の息子達は別に関係ないやって感じなのだろう、実際俺がそうであるかの様に…。

PS、この記事についてどう思いますか?正直今の自分には分かりません。ほんと最近出てきた疑問なので、自分なりの考えがまとまるまで時間がかかりそうです。別にカナダ人じゃなくても、国際結婚して、日本以外の地で住んだら、そんなとんでもない事が起こってしまうのです。